福井晴敏が数年前に書いた、「ターンAガンダム」のノベライズ版。
そもそも「ターンAガンダム」を私は未見なのだが、ガンダム誕生二十周年を記念して作られた作品で、生みの親である富野由悠季が久々に監督したことで話題になったと記憶している。しかし肝心のガンダムの造詣があまりにあんまりだったことや、まるでハウス名作劇場のような世界観がガンダムっぽくないとの批判を受け、作品の出来の割にはあまり評判はよろしくなかったらしい。
普通、ノベライズというと、売れない作家が日銭を稼ぐために書くというイメージが強く、変に力が入って世界観ぶち壊し、結局出来が今ひとつという場合が多いものである。だがこれを書いた当時の福井晴敏はすでに「亡国のイージス」を発表しており、人気、実力ともに売れっ子作家だったはずで、普通に考えればノベライズの仕事なぞ受けることはないはず。しかし真性の「ガノタ」(ガンダム・オタクのことをこう呼ぶらしい)である氏のこと、一にも二にも引き受けたそうである。なんだか項を埋める字句から、楽しんで書きまくっている姿がうかがえる。
ストーリーはアニメを基本としているものの、そこかしこに福井節が炸裂している。大昔の戦争でほぼ自滅においやられた人類は、月と地球とに別れて再生の時を待った。その長い年月の間に地の民は戦争を月に住まう人を忘れ、月の民はただ地に還ることを望んで帰還作戦を実行する。しかし巻き起こる民族間の決定的な対立。人はまた争いを繰り返すのか。こうした人と人、民族と民族の対立を壮大な叙事詩に絡めて描く世界観は福井晴敏がもっとも得意とするところで、後の「終戦のローレライ」でも引き継がれている。
しかし物語は非常に重苦しく、救いがない。とにかくやたらと人が死ぬ。何千、何万単位で死んでいく。もちろん戦争の話なんだからといえば当たり前といえばそうなのだが、それにしたって殺しすぎな感じは否めない。ガンダム・シリーズでいうと、重苦しさの代名詞的作品である「Z ガンダム」だって最後は精神崩壊で済んだわけだけれど、本作はなにせジェノサイドなのである。もっとも戦争であれば下手に生き残るよりも死んだほうがマシ、ということもあるのかもしれないが。
そういえば間もなく「戦国自衛隊 1549」が発売される。大変楽しみだが、これもある意味リメイク作品である。福井晴敏には是非ともオリジナルの SF 大河ロマンを書いてもらいたいものだ。