昨日朝九時過ぎ、JR福知山線(愛称、宝塚線)で快速電車が脱線し、線路に連接するマンションに激突した。死者 70 名を越える大惨事となった。
いつもと同じ電車に乗った人。何かの要因で乗れなかった人。たまたまその電車に居合わせた人。その電車でも前に乗った人、後ろに乗った人。ほんの些細な事柄なのに全然違う結果が待っている。人智を超えたところにある偶然(けして運命ではない)に翻弄されて生かされているのが、全ての生あるものなのだろうか。傷ついた方の回復、亡くなった方のご冥福を祈ることが私に出来ることの全てだ。
それにしてもこんな惨事がなぜ起きたのか。事故から一日が過ぎた現在においても、運行上の問題や、あるいは置き石された可能性などが指摘されつつも原因は依然不明のまま。また誘因としては過密な運行形態、安全システムの問題、コスト優先とした車体強度の問題などもあげられているようだ。こういう大事故に限ったことではないが、トラブルは往々にして原因と誘因が複雑に絡み合って発生する。特にシステムが複雑になればなるほどその傾向が強くなる。したがって、どちらか一方だけを検証しただけでは意味がなく、きちんと両者を区別してそれぞれで検証・解決していく必要がある。
ちなみに言うまでもないが原因と誘因は別である。ネットに書かれたメディア各紙やテレビのニュースを見ると、いまだ原因が不明であるからか、誘因を原因であるかのように論じているものが多いが、これを取り違えるとトンチンカンなことになるので注意が必要だ。実世界でも、たまにこの手の原因と誘因、目的と手段がゴチャゴチャになる幸せな人が見受けられたりするが。
それはともかく、事故が発生してからこちら、猛烈に不愉快なのが、テレビ、新聞をはじめとしたマスコミの報道姿勢である。未曾有の大惨事が起きて、まずは人命優先、必死の救出作業が続いているところで、まだろくに現場検証も出来ず、事故原因も何一つ分からない。そんな未だ確たるものが何もない中で、はなから運転士を犯人扱いである。もちろん庇うつもりは毛頭ない。確かに速度超過はあったのだろうし、直接、間接は別として、今回の事故の主原因の一つであったとは推測される。しかしそれが運転士の運転操作だけによるものなのかは、現段階ではまだ何も分からないのである。人的過失以外にも、操作系統のなんらかの異常、ブレーキの故障、車体の不具合などメカニカルな問題の可能性も考えられるし、また一部報道にもあるように置き石説、さらにあまり考えたくもないがテロ的な要因だってありえなくもない。
何一つ不明な中で、ろくな検証も確証もないうちから、とにかく運転士にのみフォーカスし、ここぞとばかりにあげつらう。人権なんぞクソくらえ。なんでもいいから悪者を生み出して、センセーショナルに書き立てりゃ、視聴率も購読部数もグーンと上がって万事オッケー。
しかしこれで調査の結果、主たる原因が他にあったとしたら一体どうするつもりか。こんなのは報道の自由や社会正義という名の集団リンチと違うのか。お前らは、あの松本サリン事件から何も学んでなかったのか。胸糞悪くてヘドが出る。