ということで、金曜日に大連より帰還。なのだが、これまたとんでもなく過酷な出張となったのだった。
月曜日に飛行機で大連入りしたのち、到着した大連空港で日本の本社から来た人たちをピックアップして展覧会の会場入り。会場内をあちこち見学して、閉館少し前に宿泊するホテルに入り、その後は日本人だけで晩飯を喰う。大連は海産物の本場だけあって、魚も貝もネタが新鮮で大変美味い。しかも物価も安く、北京で喰うその手のレストランと比較して、だいたい七割から八割ぐらいの値段。翌日も朝から会場入りして一日会場を見て回る。会場を一日中歩き回るのはそれなりに疲れるが、昼間の気温は 17~18℃ まで上がってスーツの上着もいらないぐらいのポカポカ陽気で非常に過ごしやすく、また夜には再び安くて美味い海鮮料理を喰いまくって、本来の仕事は一週間丸々できないけれど、これはこれで良い出張なのでは、とも考えてもいた。思えば今回の出張で、このころが一番幸せであった。
出張三日目の水曜日。前日までのポカポカ陽気から打って変わって、朝から小雨が降りつづける。しかも気温もぐっと下がり、最高気温は 5℃ までしか上がらず、まるで真冬に逆戻りである。そんな中を日本の本社から超エライ人ご一行様が到着。若干緊張しつつも、展覧会場を一回りするのをアテンドする。とは言っても日本人の中では一番下っ端な私なので、後ろからくっついていくだけなのだが、それでもなんとなく気疲れする。
夜は日本からの来訪者と中国人スタッフも交えた大宴会。今回は日本から来た超エライ人たちも一緒なので、中国人スタッフも、その超エライ人たちに飲ませていいやら悪いやら、どうしたらいいか分からないといった感じだったが、私には遠慮なしにいつもの「乾杯」攻撃がやってくる。まあどうせ明日の午後には北京に帰るんだし、この際超エライ人たちの分も俺が飲んでやる、という心意気で悪魔の酒「白酒」を飲みまくる。エライ人たちが一緒だという緊張感からか、宴会中はいくら飲んでも全く酔わなかったが、宴会が終わり、ホテルの部屋へ帰った頃になって、三日分の疲れと白酒の酔いが一気に回ってきてベッドに倒れ込む。なんだか外では雷がピカピカ光っているような気がするが、そんなことはどうでもいい。明日は北京に帰るのだ。
出張四日目の木曜日。日本から来た来訪者(超エライ人たち以外のエライ人たち)が昼の便で日本に帰るため、午前十一時頃に空港まで送る。しかし空港に着いたのはいいが、なにやら様子がおかしい。いろいろ聞いて回ると、雷混じりの豪雨と濃霧のおかげで昨夜から大連空港が閉鎖状態にあり、今はようやく飛行機が離発着できるところまで回復したが運行ダイヤは滅茶苦茶になっているとのこと。特に国内線はいったいいつ飛べるのか全くわからない状態だという。とりあえず国際便は比較的マシ(一時間遅れ程度)に運行しているらしいので、日本から来た人たちを出発ゲートに送り出し、その後は情報収集にあたる。
北京に帰る便は、本来であれば昨晩のうちに北京から一旦大連まで飛び、その後今日の午前中に上海へ行き、さらに上海から大連に戻ったのち、午後三時に我々を乗せて北京に帰るというフライトスケジュールであった。しかし昨晩から大連空港がロックアウトされた影響で、今日の昼現在でまだ北京を飛び立っていないという。北京-大連間は約一時間、大連-上海間は約二時間半かかる。また空港に着いたからと言ってすぐまた飛び立つわけにもいかない。乗客の入れ替え、荷物の積み出しと運び入れ、燃料の補給などに、少なくとも一時間はかかるだろう。今のところこのフライトスケジュールはキャンセルされていないので、この通りに運行されたとして、さらに今すぐ北京を飛び立ったとしても、どう考えても八時間以上はかかる計算である。ごった返すインフォメーションカウンタで、人をかき分けかき分けようやく仕入れた情報では、少なくとも午後九時以前に飛ぶ可能性はゼロだという。それでも六時間の遅延である。恐らく更に遅れることは必至。はたして今日中に北京に帰れるのだろうか。
寒風吹きすさび、強烈に底冷えのする空港にいてもしょうがないので(当然ながら暖房など一切入っていない)、一旦大連市内に戻りホテルの喫茶店で待機することにした。とは言え、いつ乗れるのかすら全く分からない飛行機を待つだけなのは非常に辛い。しかも今回は日本から来た超エライ人たちも一緒である。自分たちだけなら喫茶店のソファでごろ寝でもするか、大連市内をブラブラ散策(死ぬほど寒いのでそんな気は起こらなかっただろうが)でもして時間を潰すところだが、まさかそういうわけにもいかない。お茶をがぶがぶ飲みつつ適当に話をしても、いつしか会話も途切れる。今回の件は、あくまで自然現象によるハプニングである。我々には全く責任はない。代わりの交通手段もない。今はひたすら待つことしか出来ない。それでも気まずい。非常に気まずい。連日歩き回った足腰の痛みや、昨晩の白酒攻撃の二日酔いなぞは、このハプニングでとっくにどこかにぶっ飛んでいるが、今度は精神的重圧である。これまでの人生の中で、これほどまでに大気圧を感じたことはなかった。重い。空気が重い。いっそこのまま窒素と酸素と二酸化炭素とアルゴンとその他諸々の元素に分解されて、大気の一部になって霧散したい。
ところでこんなことなら飛行機をキャンセルし、大連にもう一泊して翌日にでもゆっくり北京に帰ればいいと思う人もいると思われるが、我々にはそういうわけにはいかない事情があったのだった。金曜日の午前中には例の「董事会」が北京で開かれる。私を雇用する北京の会社は日中の合弁企業であり、その董事会には中国方の超エライ人も出席する。その人も超エライ人のご多分に漏れず非常に多忙であり、時間はそこしか取れない。日本から来た超エライ人たちも同様である。「こういう事情だから延期しましょうか」というわけにはいかないのである。したがって日付が変わろうが朝になろうが、明日の午前十時までにはどうしても北京に帰らなければならないのであった。
ようやくチェックインが始まりそうだという連絡を受け、午後九時ごろに再び空港へ向かった。荷物を預け、チケットを受けとったので少なくともフライトがキャンセルされることは無さそうだが、しかし未だに何時に飛ぶか定かではないという。なにせ我々が乗る飛行機は夕刻北京から大連に到着し、少し前に上海に向けて飛び立ったばかりだとのこと。ということは少なくともあと五時間は待たなければならないのか。
空港内はカオス状態であった。空港職員に食ってかかり乱闘騒ぎになり、機関銃を持った警備員に連行される者、その横には待ち疲れて地べたに雑魚寝する者がおり、さらに売店で買った酒やつまみを持ち込んで宴会をする輪が多数でき、子供は泣き叫び椅子に倒れ込んだままの老婆は先ほどからピクリとも動かず、そして疲れ切ってゾンビのごとく目は虚ろ、口は半開きにした日本人ご一行様は、いつ動くとも知れぬ飛行機をただひたすら待つばかり。なんだかもう、何もかもがどうでもよくなってきた。
そして午前二時。ついに北京行きの飛行機が上海から戻ってきた。やがて搭乗が始まり、ゾンビの群れのようになった乗客が飛行機に吸い込まれていく。午前三時にテイクオフ。結局十二時間のディレイであった。
午前四時に無事に北京に到着。荷物を受け取り、タクシーで超エライ人たちをホテルまで送って、ようやく家に着いたのは午前五時。だが明日(というか今日か)は午前十時から董事会がある。超エライ人たちをホテルまで迎えに行き会社まで送るとして、さらにその前にシャワーを浴びたり身支度をしたりせねばならん。となると午前六時には行動を開始しなければならない。今日は結局朝から一睡もしていない。飛行機の中で寝ておこうと思ったけれど、疲れすぎているからか全く寝られなかった。こなりゃいっそこのまま起きているかとも思ったが、少しでも横になろうとベッドに倒れ込んだら一瞬で意識が遠のく。
午前六時に気合いで起床。電話であれこれ本日の予定を再度確認しつつ、超エライ人たちと一緒に会社へ。午前十時から董事会が開催。時折睡魔に襲われるものの、議事には特に問題もなく、お昼には無事に会議が終了。とりあえずはこれで今週最大のイベントが終わったわけである。
しかしまだ全てが終わったわけではない。夜には中国方の超エライ人たちご一行様との宴会である。さすがに今回こういう事情だったので先方も気を使ってくれ、それほど飲み食いしなくても大丈夫だったが、それでも私は一番の下っ端であり年若である。「若いんだから一晩ぐらい徹夜しても飲めるだろ」とばかりに乾杯攻撃はもっぱら私にやってくる。もちろんここで絶対に断るわけにはいかない。「もちろんっすよ楽勝っすよ」と調子よく杯を飲み干すが、当然ながら味なぞ全くしない。口腔を経て食道を通過したアルコールが、ひたすら胃と肝臓を焼いていくばかりである。
翌日の土曜日、昼過ぎの便で日本へ帰る超エライ人たちを空港まで送り、ようやくこれで今回のミッションは全て終了。とたんにどっと疲れが出たのか、体中の関節という関節が痛い。悪寒もする。底冷えのする大連空港で長時間過ごしたからか風邪でもひいたのだろうか。とりあえず家に帰り寝る。途中晩飯を少し喰った以外はひたすら死んだように寝続け、気がついたら日曜日の朝十時であった。
というわけで、まさか終盤あんなことになるとは思いも寄らなかったが、一連の大連出張はどうにか終わったのだった。しかし一週間仕事を全くしなかったしわ寄せは大きい。出張期間中、ヤバ目のメールもいくつか入ってきていた。しかし全て放置してしまった。どうしたもんか。まあどうするもこうするもないわけである。遅れを取り戻すには倍働かなければならない。出来れば死なない程度に。ともあれ、とりあえず今週一週間はアルコールを抜くべきか。