ふと気がついた今日は週もとっくに空けた火曜日である。バリ島から北京に帰ってきたのが先週の金曜日だったか。ボーっとするまもなく翌日からすかさずフルスロットルで仕事に勤しみ(国慶節で一週間休んだため、土日は振り替え出勤)、だーっ、やら、ぐおーっ、やらいう声にならない声を上げつつ過ぎ去ったのが、ここ数日のことだったらしい。正に光陰矢のごとし。
あんな惨いことがあったとはいえ、あくまでも常夏でひたすらに平和な、そしてどこまでもヌルい雰囲気の南の島で一週間過ごしたおかげで、脳が半分溶けかかった我が身。まぶたに浮かぶは原色の彩り。舌に残るはゴレンの記憶。鼻腔にたゆたうはジャスミンの芳香。耳に聞こえしはガムランの調べ。こうなりゃケチャでも踊っちゃうぞ。そんなダレまくった体だったこそなのか、北京で戻ってきたいつもの生活は、南の島とは正反対の意味で時間の感覚を麻痺させるようだ。
そして気がつけば十月も早半ばである。つい先日まで夏の残滓が漂っていた北京も、国慶節を過ぎると一気に秋めいてくる。最高気温は 20℃ ちょっとまでしかあがらず、朝晩は涼しいというより寒いといった方がより正確なほど冷え込んできた。街行く人の装いもすっかり秋モードで、長袖なのはもちろん、早くもジャケットやコートを着ている人もいる。中には早くも手袋にマフラー着用というおねーさんもいたりして、さすがにそれはちょっとやりすぎではないかと思ってみたり。そういえば夏の暑い盛りには上半身裸のおっちゃんが太鼓腹を誇示しながら大挙して街を闊歩していた。暑いのはわかるがいくらなんでもそれはいかがなものかと思っていたが、季節が変わった秋には、今度はそこまで寒くもないうちから手袋&マフラー武装。中国の人はやることが極端らしい。
そして気がつけば、北京での生活もかれこれ三ヶ月である。公私ともに色々なことを経験し、とまどいよりも驚くことのほうが多かった、実に密度の濃い日々であった。それでも当初感じた新鮮味は良くも悪くも徐々に薄れ、ルーチンのリズムもほぼつかみかけた感はある。これがいわゆる安定期というやつか。三日、三ヶ月、三年が一つの区切りとよく言うが、こうしてその一つを実体験すると、区切りというのはなんとなくわかる気がする。
それでも三ヶ月なんて、やはり早かった。次の区切りの三年も、気がつけばすぐに経っていたということになるやもしれない。そのころ、この街はオリンピック一色のはず。テレビに映る華やかなイベントの映像を見ながら、私はどんな「区切り感」を感じているのか。もうダメぽ、とか思ってなければいいけど。
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