ヒューマン -人類- ロバート・J・ソウヤー 内田 昌之 早川書房 2005-06-23 売り上げランキング : 2,941 おすすめ平均 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
量子コンピュータの実験中に平行宇宙からやって来たネアンデルタール人が、人類文明に触れる中で様々な事件が巻き起こる「ネアンデルタール三部作」の第二弾。たしか北京に来るときに成田空港で買ってずいぶん前に読み終わっていたのだが、防備録として書いておく。
三部作のイントロダクションとして次から次へと事件が起こり、はてはネアンデルタール世界での裁判風景まで描くという突拍子の無さで度肝を抜かれた第一弾に引き続き、この第二弾でもまたぞろいろいろな事件が起こるわけだが、今作で中心となるのはネアンデルタール文明と人類文明の対比である。農耕を行わず、現世人類と比較するとはるかに少ない人口を維持しつつ高度な文明を築き上げたネアンデルタール人が、徹底した合理主義者、実用主義者として描かれているところが非常に興味深い。その一員であるポンター(ネアンデルタールの世界からやって来た物理学者)の視点を通じて、人類文明の抱える様々な不合理が浮き彫りにされていく。だが人類文明との隔たりがあまりにも大きすぎるので、ネアンデルタール人が築き上げた社会が必ずしも理想的とは言えない気もするが。
物語のもう一つの中心は、より一層深まっていくポンターとメアリ(人類側の女性生物学者)の交流だろう。種を超えた(と言っても同じホモ・サピエンスだが)愛情をさらに募らせた結果、次作での結末はすでに見えているようにも思えるが、しかしそこには様々な障害が待ち構えており、それをいかにして乗り越えていくかが見どころか。前作で起きたあの事件に対するポンターなりの解決方法も、一見激情に身を任せたようで、実はしっかりネアンデルタール文明のやり方で決着をつけるところなどはなかなか興味深い。いやしかし、筋骨隆々のネアンデルタール人がブチ切れた日には、素手では人類が束になってもかなわないだろうなあ。
全体的に物語としてはよくできているものの、やや SF 色が薄くなったのが少し気になるが、本作の最後の最後に突然提示される SF 的アイデア、そしてそこから導き出される人類の危機は、ソウヤーらしいドッキリ感に溢れている。三部作の完結編である次作が楽しみだ。
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