「半身」 サラ・ウォーターズ:創元推理文庫
物語の舞台は、かつてロンドンに実在したミルバンク監獄である。テムズ河畔にそばだつ巨大な石造りの檻は、五角形の獄舎を六つ連結したこの迷宮のような建造物で、汚染された河畔の水と湿気で常に冷え冷えとし、伝染病で死者が続出する、まさに地獄だったという。
1874年、秋。その監獄を慰問に訪れたマーガレット・プライアは、そこで一人の謎めいた女囚と出会う。彼女の名はシライナ。陰鬱で凄惨な日々が送られるミルバンクの牢獄とは不釣合いな、不思議な雰囲気をたたえたシライナは、マーガレットに何故か強烈な印象を与えるのだった。やがて、シライナにひきつけられるようにして監獄に通いつめるマーガレット。
マーガレットとシライナの二人の、時系列の異なる手記が交互に並べられる手法で物語は進められていく。読み始めは時間間隔が理解しにくくてかなり混乱するのだが、読み進めていくうちに徐々に捉えられて来る全体像と、それに比例してますます高まる神秘的な物語展開に引き込まれていく。
文字を追うだけで、石造りの威容を誇る獄舎がそびえるのが見えるのだ。暗く長く、どこまでも続く通路が眼の前に現われる。明日をも知れぬ女囚たちの溜息、鉄格子とかんぬきが奏でる金属質の音、遠くから狂ったようなわめき声が聞こえてくる。支給される食事の味、監房にこもる悪臭。ごわごわの囚人服の手触り。まさに五感にうったえる描写力。どちらかというと淡々と、かつテンションの低い文体であるのだけど、読んでいるうちに自分もミルバンク監獄にとらわれた囚人であるかのような錯覚を覚えてしまうほど、その息詰まるような世界に没頭することになる。本書をして「悪魔的な表現力」と評されたそうだが、言い得て妙だと思う。
そして迎える結末が、これまた強烈。ローテンションなのにハイブロウな読後感とでも言おうか。秋の夜長、ゴシック世界に浸りたい方におすすめ。
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