北京は中国の首都であり、千三百万人(一説には千七百万人とも)の人々が暮らす大都市である。悲願だった北京オリンピック開幕まであと二ヶ月を切り、いよいよ中国のみならず世界有数の都市へと変貌を遂げつつある。
しかしその実、あまりにもショボい街である。何がショボいのかと言われるとたくさんありすぎて選ぶのに迷うほどだが、おそらく誰もがショボさ要因のトップスリーの一つにあげるのが公共交通網の未発達ぶりであろう。
ともかく交通手段が非常に少ない。あるのはバス、地下鉄、そしてタクシーだけである。さすがにバスは北京の街を縦横くまなく網羅しているが、このだだっ広い北京をバスだけで移動するのはかなり大変である。なにせどこに行っても人が溢れているこの国のこと、バスはいつも超満員、おまけに道路は大渋滞。疲れる。時間が読めない。正直言って私は利用したいとは微塵も思わない。
そう思っている人は地元の人たちも同じようで、最近の経済発展とモータリゼイションの到来で自家用車を持つ人が非常に多くなったが、大都市として致命的欠陥である道路事情の劣悪さ(そもそもこれほど車が増えると考えて都市計画を行ってこなかったのだろう)と、基本的な交通マナーの悪さ(何人たりともオラの前を走らせねえぜ!的人民の気質というか、譲り合い精神なぞ別の惑星の話である)があいまって、ただでさえ混雑する道路が今やどうにもならないところまで来てしまった。よってバスは一段と混み、そしてますます時間が読めなくなり、利用する気がさらに失せる。
タクシーは比較的豊富に街に溢れている。値段も初乗り 10 元(約 150 円)と安く、ちょっとそこまで行くのでも気軽に利用することが出来る。以前のタクシーはろくに整備もされておらず、シートもお世辞にも綺麗とは言えないオンボロばかりだったが、オリンピックに向けての都市整備の一環か、ここ二年ほどで新車が大量配備され、すっかり様変わりした。しかし朝夕のラッシュ時や珍しく雨が降った日などは、普段あれほど見かける空車のタクシーが忽然と姿を消すのが大変困る。考えることは誰も同じで、面倒だからタクシーで行こか、という人が多いからだろうが、おかげでどこまで行っても捕まらず、結局目的地まで延々歩いてしまったことも何度かある。
そして地下鉄である。現在北京には、北京を東西に走る1号線と中心環状線の2号線、1号線の延長で東部を走る八通線、北部郊外をぐるっと回る13号線、最近開通した5号線の、合計五路線が開通している。さらに北京五輪の開催に間に合うよう、現在は地下鉄4号線と8号線(オリンピック支線)、9号線、10号線、北京空港に直結する機場線(空港線)などが建設中で、その他これから建設される路線も合わせると最終的にはこうなるらしい。オリンピック向けの路線はともかくとして、他の路線がいったいいつ完成するのかは知るよしもないが、本当にここまで出来れば少なくとも今よりは便利になり、そして多少は交通渋滞も緩和されるだろうか。
その北京の地下鉄でこの六月、現在開通済みの各駅で自動改札機が全面的に導入された。今までの薄っぺらい紙の切符をおばちゃんが座る窓口で買って、改札を抜けたあとは、こちらももぎり役のおばちゃんに切符を渡し、あとはどこまで行ってもフリーパスだったものが、自動券売機にお金をいれて IC 乗車券を買い、自動改札に通す方式へと改められたわけである。とっくに SUICA だの ICOCA だのに慣れた日本人とすれば何を今更という気がしないでもないが、ハイテク機器を導入し、これでようやく近代的な交通システムと言えるようになった。しかしとなるとあのおばちゃんたち、リストラされてしまったのだろうか。
ということで鳴り物入りで導入されたこの IC 乗車券システムだが、今のところ北京の人たちには評判があまりよろしくないらしい。まず券売機は1元硬貨か5元、10元札しか受け付けない仕様になっている。しかし1元硬貨は1元札ほど流通していない。また5元札や10元札はたいていよれよれ、それも半端無く汚い。いやこの中国の紙幣の汚さは実物を見た人しかわからないと思うが、その汚さは尋常ではないのだ。手垢にまみれ、あちこちに謎の汚れや付着物があり、そこはかとなく異臭もする。なにがどうしたらお金がここまで汚くなるのかよくわからないが、潔癖症の人のみならず、一般的衛生観念を持つ私でもできれば触りたくないと思うことがよくあるぐらいである。さらに汚いだけでなく、ちぎれた部分をセロハンテープで くっつけてあったり、あちこち落書きがあったりする。お金に限らず誰もが使う公共物を大事に使うという概念が欠片もないお国柄なので仕方がないのかもしれないが、金に異常な執着を見せるわりに、お金そのものには全く敬意を払わないのはいかがなものか。どうでもいいですかそんなこと。
そんなお金ばかりなので、当然ながら券売機が読み取れないものが多い。そういうお札は何回入れても戻ってくる。しかし両替機などという気の利いたものがこの中国に置いてあるわけがない。したがってお金を入れては出て、入れては出てを繰り返す人が続出し、待ち行列が長く延びることになる。おかげでせっかく混雑緩和のために自動券売機を導入したのに、切符売り場が以前にも増してよっぽど混雑しているという話も聞く。
自動改札機も一筋縄ではいかない。IC 乗車券を読み取りパネルの上にかざすとパカッと改札機が開くわけだが、機械の問題なのかかざし方が悪いのか知らないが、読み取り損ないが非常に多いらしい。また読み取りパネルは入り口進行方向の右側にあるのに、何故か左側(つまりは隣)のパネルに券売機をかざしてしまう人もいるそうで、ドリフのギャクのような場面がそこここで見られるそうである。
ちなみにこの自動改札は 6 月 9 日に全駅で一斉導入のはずだったのだが、北京駅は機械の整備が完了しなかったため、混雑することが予想されるという理由から駅自体が封鎖(電車は通過する)されてしまったそうだ。準備期間が十分あったのに工期に間に合わなかったのもどうかと思うが、しかし出来なかったからといって駅自体を封鎖してしまうあたりが豪快というか豪気というか。しかも地下鉄の北京駅は地上の列車駅にも連結するターミナル駅。人民の利便性なぞ、はなから眼中にないのか。まあなんとも中国らしい話である。
それはともかくとして、こうした混乱を少しでも緩和すべく、現在は自動改札口や自動券売機のそばに服務員を配置したとのこと。券売機で何回やっても戻ってくるお金があれば丁寧にしわを伸ばしてやり、それでもだめなら小脇に抱えた大量の小銭で両替をする。自動改札でまごつく人あれば、行って通り方を教えてくれる。その服務員こそ誰あろう、かつて窓口で無愛想に切符を売ったり改札でもぎったりしていた、あのおばちゃんたちだそうである。ハイテク機器が導入されて哀れリストラの憂き目にあったかと思っていたが、どっこいこうして生きていたとは。いくら機械を導入し近代化をすすめても、やはり北京の地下鉄にはあのおばちゃんたちがいないと立ちゆかないと思うと、なにやら愉快な気にさせられるのだった。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。