四川省で 12 日に発生した大地震は、日本では四川大地震と呼ばれているようだが、中国のテレビや新聞の報道を見ていると震源地の名を取って「汶川大地震」という呼称が使われている。
地震発生から一夜明け、被害が次第に明らかになるにつれて、そのあまりにも凄惨な状況に呆然とするしかない。地割れでめくり上がり、崖崩れによって完全に塞がってしまった道路、わずかな骨組みだけを残して倒壊した建物、瓦礫の山と化した学校や病院。未だに数万人の人たちが、あのコンクリートと煉瓦の山の下に埋まったままだという。現地では大雨が降り出し、さらに厳しい状態になりつつある。
四川省の交通はほとんどが寸断されているらしい。がれきの下で救援を待つ人々の生死を握るのが初動の救援活動である。全国から集められた数万人の人民解放軍,、武装警察らが被災地に入り救援活動を展開とのことだが、落石や陥没などで多くの道路が破壊され、救援部隊は 100km の道のりを徒歩で現地に向かっている。
震源地付近は急峻な山岳地域なので元々が気流が不安定なところに加え、折からの悪天候のため軍用ヘリも近づけない状況だったようだが、ついにパラシュート部隊の投入を決行。被害の大きかった綿竹市、安県、北川地区にパラシュートで降下するという。北京からも国家地震局災害対策チームの職員 242 人と災害救助犬 12 頭、救助車両 3 台、救援物資 7 トンを成都の軍用飛行場に運んだそうだ。
未曾有の大災害に見舞われた現地では、一本の飲料水、一巻の包帯でも必要とされているだろう。早く早く早く。ネットやテレビの前で、ただ歯ぎしりするしかない我が身がもどかしい。
私を雇用する北京の会社の従業員はほとんどが北京人なので、直接・間接に被害を受けた人間はいないようだが、中には四川省に知り合いや友人がいる者もいる。「全然連絡が取れないんですよ」と不安そうに話す。
また、私を雇用する北京の会社は、中国には北京にしか関連会社や法人がないので、こちらも直接的には被害はない。だが成都や重慶に中国ローカルの販売代理店がある。地震発生以来、携帯電話も固定電話も不通、インターネットのメールにも返事がないらしい。
私を雇用する北京の会社は業種柄、こうした災害時に役に立つ製品を多く扱っている。多くの建物や施設が倒壊し、使用不能になっているものも多数にわたるはずだ。要請さえあればすぐにでも現地に届ける手はずは整えつつあるが、混沌と混乱を極める現在の状況では、それをどこに送っていいのかすらわからない。たった 1,500km の距離が、こんなにも遠いとは。
四川省へは、成都に仕事で二回ほど行ったことがある。昨年の十月にも所用で訪れた。その際、販売代理店の若いスタッフが「もうすぐ子供が生まれるんですよ」と、ちょっとはにかみながら話していたのを思い出す。神でも仏でもなんでもいい。彼と彼の小さい家族に、ほんの少しでもご加護を。
先の聖火リレーで、行く先々で沿道を埋め尽くした紅い国旗とともに人々の口から連呼され、おそらく日本でもおなじみとなったフレーズをここに記したい。
中国、加油!
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