ボルネオ島滞在、早くも四日目。
滞在しているホテルは、シャングリラ系列のホテルである。コタ・キナバルの空港から車で 10 分ほどのところにあり、海に突き出た岬の先にある。部屋は海側から微妙に外れたところなのでそれほど景色はよくないが、少し出るとエメラルドグリーンに広がる南シナ海が一望できる。海辺特有の水蒸気によって少しかすんだ空気の向こうに、大小の島が点々と点在するさまはなかなか素晴らしい。
赤道近くの熱帯雨林気候に浮かぶ島なので、もっと蒸し暑いかと思っていたが、意外にも湿気はそれほどでもない。もちろん暑いには暑い。しかし東京や北京の地獄のような真夏を思えば天国のようだ。それでも日差しは強烈である。もともとが地黒で、日に当たるとすぐに日焼けしてしまう性質なのだが、ほんの二日ほどこの地の太陽光線を浴びただけで、すでに全身真っ黒になってしまった。この歳になると、日焼けあとが染みになって困ったことになったりする。あまり日に当たらないほうがいいのだけれど、時すでに遅し。まあこうなったらとことん日焼けするのも、また一興か。
ボルネオ島はかなり複雑な歴史を持つ島である。元々は土着のクタイ王国という王朝で統治され、貿易などで繁栄したそうだが、近代になるとオランダ、イギリスの植民地として分割統治され、さらには第二次世界大戦の頃には日本に統治された。その後、オランダ領は全域がインドネシア共和国として独立、イギリス領はマレー半島のマラヤ連邦と統合してマレーシアを結成するが、北部のサバ州は歴史上自国のものであるとしてフィリピンが領有権を主張、一時紛争に至る。現在はインドネシア、マレーシア、ブルネイに分割されており、世界で三番目に島であるとともに、世界で最も多くの国によって分割されている島でもある。
今、私が滞在しているコタ・キナバルはマレーシア領。ボルネオ島の多くの住民はマレー系だが、他の東南アジアの国々と同様、中華系住民も多く住んでいる。確かに街を歩くとほとんどがマレー系の人々だが、中には我々日本人とよく似た風貌の人たちもいる。公用語はマレー語だが、英語もかなり通じる。また中華系住人の多さを反映してか、漢字(ただし広東、福建系が多いためかほとんどは繁体字)の看板もたくさんかかっている。北京から遠く離れた南の島で、見慣れた中国語を見かけると、なんだか妙な感じがするのは気のせいか。
また、マレーシアの国教がイスラム教でもあり、コタ・キナバルに住むマレー系の人々はほとんどが敬虔なムスリムだそうである。街にはモスクがあり、街行く男性は帽子、女性は顔を隠すヘジャブを纏っている。ちなみに昨日、街のローカルなレストランで晩飯を喰ったのだが、注文するときにビールはあるかと聞いたら、そんなもんあるわけねえだろ、という感じできっぱりと「無い」と言われた。当たり前である。
と、旅行に来ると、その国のバックグラウンドをいろいろと調べてみるわけだが、知らなかったことがたくさんあってなかなか興味深い。私の見識なぞはまだまだ実に狭く、そして世界は広い。
それはともかく、南の島である。休暇はもう少し続く。さて明日はどうやって過ごそうか。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。