私は間もなく不惑を迎える歳になったが、生まれてこの方、日の丸が「軍国主義」と繋がったことはただの一度もない。アメリカの星条旗、イギリスのユニオンジャック、フランスのトリコロールなどと同様に、日本という国を表す旗の記号でしかない。それはおそらく今の小学校、中学校、高校の年齢の子供たちも同様であろう。誰かに「洗脳」でもされなければ、“日の丸=軍国主義”と感じる事は皆無だと思われる。
そこで今回の判決である。「日の丸には軍国主義の象徴となったことは否定しがたい歴史的事実である」。はあ?じゃあたとえば、日の丸の赤は先の大戦で大量に流れた血をイメージさせることは、否定しがたい歴史的事実である。日の丸の白は先の大戦で大量に流れた血を介抱するために巻いた包帯をイメージすることは、否定しがたい歴史的事実である。したがって学校の運動会で赤、白と色分けする事を嫌がる教職員が運動会をボイコットしたことにより処分するのは不当である。ってのもありってことですか?
ただ今回の判決で間違えてはいけないのは、日の丸掲揚と国家斉唱の是非には言及していないことだ。むしろ良いことである、と言っている。ただしこれに嫌悪を示す人がいることも事実であり、学校側の「国旗に向かって起立せよ」の指示に従わなかった教師を東京都が処分した事に関してのみ、その処分を不当としたわけである。たぶんどこかの報道機関は、学校での日の丸掲揚と国家斉唱自体も「アウト」と裁判所が判断したと、お得意の曲解技を見せるに違いないので、そこはある意味楽しみに待ちたい。
ともあれ、今回の裁判を起こした教職員は、自分達の主義・思想による行動で、子供たちが意識しなくてもいいこと無理に意識させているという事実を認識しなければならない。日の丸が嫌いなのも結構、君が代を歌いたくないならどうぞご自由に。ただし戦争を引き起こした歴史をどのように解釈し、それらを踏まえてこれからどうすればいいかは、子供達一人一人が考えていくことである。自分たちが異常なまでに嫌悪する事象について、己の感情をたっぷりブレンドして行う歴史教育こそ、子供たちを洗脳することにほかならない。
私は今こうして海外で暮らしているが、日々の生活や仕事の中で改めて思うのは、自分の国や歴史、文化に敬意(一応書いておくが、これは全てを肯定するという意味ではない)を示すことの大切さである。もちろん今暮らしている国の歴史にも敬意を払う。そこに住む人々の様々な文化にも最大限のリスペクトを送る。だがそれ以前に最も大事なのは、そもそも自分が何者なのかをきちんと認識することだ。それはつまり国旗や国歌に象徴される国の歴史や成り立ち、これまで培ってきた文化や様式に敬意を持つことであり、そしてそれは国を愛することであり、そしてそれは「日本人」という自分を大切にするということである。自分が生まれ暮らした国を理解し敬意を払い愛し、自分を大切にすることすらも出来ない人間に、他の国やそこに暮らす人々を愛することなぞ到底不可能である。
まあ、この教師たちみたいな自分の主義・思想だけをゴリゴリと押しだし、生徒のことなぞこれっぽっちも考えていない教師がいれば、そりゃ学校が荒廃するのも当たり前だと思いますけどね。
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