出星前夜 飯嶋 和一 小学館 2008-08-01 売り上げランキング : 2118 おすすめ平均 |
寛永 14 年から 15 年にかけて島原・天草で勃発した農民一揆とキリシタン蜂起、いわゆる「島原・天草の乱」を描く歴史ドラマ。著者は飯嶋和一。個人的に勝手に「神」と崇める作家の、四年ぶりとなる待ちに待った新作である。
本作の舞台は島原半島南部の南目と呼ばれる地。ここには棄教した元キリシタンたちが住む。保身のため積極的にキリシタン弾圧をすすめた役人たちの愚策により、南目の村人たちは幕府検地による表高の倍以上、信じがたい石盛りを割り当てられ、年貢を納めさせられている。そこに襲う極度の気候不順と台風、そして旱魃。村人の、文字通り死ぬ思いの努力もすべて吹き飛ばしてしまう。飢餓が村を襲い、子ども達が次々と病に倒れていく。
長崎の医師、外崎恵舟は、南目の有家村の庄屋甚右衛門に懇願され、有家へ診察に出向いた。そこで見たものは飢餓に苦しむ村。そして村人の苦しみなど意に介さず、年貢を取り立てることしか頭にない役人たちの姿。その役人達は村人を救うどころか恵舟を追い払った。
南目に住む若者の鍬之介は、イスパニア人の血を引き、一見して異国人の面立ちのため寿安と呼ばれている。元キリシタンである南目の人々は、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」とのマタイの福音書の教えに従い、ひたすら耐え忍んできた。しかしその結果、何の罪もない子どもたちが死んでいく。抵抗しないということも、結局は子どもたちを死に追いやる共犯ではないのか。そんな村の大人たちを見限り、寿安は森のなかの教会堂跡に立てこもった。彼が起こした騒動は、甚右衛門の奔走で一旦は収まったかに見えたが、城代家老たちの不手際と権力争いは、村人たちにいったん与えた希望を取り上げた形となり、さらなる絶望へと追いやった。そして甚右衛門はついに悟る。ただ耐え忍び虐げられ、座して死を待つことに意味はあるのか。
「島原の乱」と聞いてまず思い浮かべるのは、とりあえずはあの天草四郎だが、この本では天草四郎はあくまでも脇役であり、寿安、恵舟、そして甚右衛門こと元水軍衆名将の鬼塚監物の三人を軸に物語は語られる。圧政と理不尽に踏みにじられる罪なき人たちの死を眼前にして、彼ら三人の共通の思い、望みは、ただ人を救うことだけ。こうした己の死をもいとわず他者のために戦う男の生き様や、「人が人として真っ当に生きる」姿をとてつもなく熱く、しかし感情を排した冷徹な筆致で描く手法は筆者の真骨頂である。本作でも彼ら三人の熱すぎるほど熱い生き方を、絶望的な民衆蜂起を通して知ることが出来る。
前作「黄金旅風」は時代的に本書の少し前の時代が描かれており、ところどころリンクしている箇所もある。是非ともそちらもおすすめ。
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