私を雇用する北京の会社はいわゆるところのメーカである。自社で開発、製造した製品を市場に投入することで、その上がりからおまんまを頂戴している企業である。
したがって物を作ったら売らなければいけないわけだが、私を雇用する北京の会社は直接ユーザには販売していない。もちろん直販すれば間接コストが下がって、市場に供給する自社製品のコスト的価値を高めることが出来る。しかしメリットがあれば当然デメリットもリスクもある。特にここは中国である。そもそもの「契約」と「金払い」、そしてそれらの本質である「約束」という概念が今ひとつ不透明なこの国のこと。直販することによるリスクは日本でのそれと比較しても桁外れに大きいのである。また大きな声では言えないが、以前と比べれば少なくなったもののの、物品販売にまつわる「袖の下」の横行は未だ公然と行われている(らしい)。当然贈収賄は重大な犯罪である。発覚したら、それこそ洒落にならない事態になる。
その他いろいろややこしい事情はあるのだが、私を雇用する北京の会社では、販売代理店を通すことで(つまりは彼らに様々なリスクをある程度飲んでもらって)ユーザ先に製品を届けるという「代理店販売方式」を採用している。
新年明けた早々の先週土曜日、代理店会議なるものが開かれた。これは年一回の恒例行事で、代理店の代表者が北京に集まり、私を雇用する北京の会社の去年および今年の動向やこれから販売予定の新製品の説明、現在市場の状況、そこで発生している問題点などを話し合う重要な会議である。肩書き的にはエライ私も当然出席。主に新製品の説明や技術的なアドバイス、各種ヒアリングなどを行った。まあこういう集まりは、えてしてクレーム言いたい放題合戦になるものである。それもただでさえ自己主張の強い中国人、しかも会社の総経理クラスという一癖も二癖もある連中が数十人もスクラムを組めば、喧しいこと甚だしい。もちろん中には有益な意見や情報もあるけれど、当然ながら辛辣な物言いの方が多い。エライ人は心も体もタフでないと、いつか人として崩壊する。
会議もなんとか終わり、夜ともなれば当然宴会である。そして中国で宴会と言えば白酒である。最初の乾杯ののち、しばらくは大人しく飯を喰っていたが、場が和んでくると一気に乾杯合戦が開始される。基本的には各テーブルを回り、簡単な挨拶をして乾杯のかけ声とともにショットグラスの白酒を一気に飲み干すわけだが、当然ながらそれだけで終わるわけがない。テーブルを回り終え、やれやれと自分の席に戻ってくると、今度は向こうからやってくる番である。今回はこちらがホストの身、受けて立つ立場だ。絶対に逃げるわけにはいかない。一人二人ならまだいいが、なにせ今日は人が多い。正に門前列をなすの如く、乾杯待ちの人間が待ち行列を作って待機している。その一人一人と乾杯、乾杯、そして乾杯の嵐。32 杯までは数えていたが、それ以降はもうどうでもよくなってくる。エライ人は心も体も、そして肝臓もタフでないと、いつか、というか近いうちに体中が黄色くなって死ぬ。
ところで今回発見したのが、白酒を飲んですぐに口直しにスイカを喰うと、いくらでも飲み続けることが出来るということである。アルコール度数 56 度という強烈な成分はともかくとして、あの飲んだ後に口の中にいつまでも残る白酒独特の臭いや胃が焼けるような気持ち悪さで、平均的日本人的味覚を有する者としては、およそ大量飲酒するには想像を絶する苦痛を要する。しかしなぜかスイカを喰うと、それらきつい臭いも胸焼け感もすっきりと解消するのだった。おそらくはスイカの甘さと水分が、臭いを隠し胃壁を保護してくれるのだろうと思われる。もちろんアルコールが瞬時に分解されるわけはなく、飲めば飲むだけ体内にアルコールが蓄積され、いつかは臨界点を突破するのは変わらないだろうが、ともあれ一時的にでも気持ち悪さがなくなるのはありがたい。素晴らしい。気づいた私は乾杯してはスイカを喰い、そしてまた乾杯とスイカを交互に繰り返す。いつの間にやら目の前には白酒の空き瓶と、そして大量のスイカの皮の残骸が残されていたのだった。
強固でタフな心と体と肝臓を持ち、そしてなおかつスイカ好きであれば、中国で何とか生きていけそうな気がする新しい年である。
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