ということで、街でベージュのコートを見かけても指にルビーのリングを探したりはしないわけだが、北京で暮らすようになって丸二年が経過したわけであった。しかし持ってくる歌が古いな。
そんなわけで二年である。まあ何というか、実に陳腐かつ安易な物言いなれど、正にあっという間であった。こちらにやってきて最初は、仕事も生活も何もかもが初めて接することばかり。とにもかくにも慣れることが先決と、必死になっているうちに日々が過ぎ去る。ようやくなんとか慣れてきたかと思ったら、今度は仕事が怒濤のように押し寄せたわけである。それを捌くのに必死になって、気がつけば二年の月日が流れ去っていたのだった。いやほんと、早いもんです。
で、この二年を振り返ってみるとどうか。最初のうちは何せとまどうことの多かった日々のルーチンも、現在は一応はこなせるようにはなったと思う。ただし如何せん今は仕事の量が、正直言って多すぎる。いや、ここで愚痴を言ってもしょうがない、というかここしか愚痴を吐けるところがないわけだが、なにせほんとに多すぎるのよ。おかげで最近は一つ一つの仕事が雑になってきたような気がしてならない。どうしたもんかと考えている暇があったら、その時間で手を動かせ頭を働かせということになるのかもしれないが、このままいけばいずれどこかで破裂する。ちょっと真剣に考えなくてはならんかもしれん。
中国語もどうか。さすがに二年前と比べれば上達してるとは思うが、思ったよりは上手くなっていないというのが正直なところ。日常会話はとりあえず何とかなるようになったが、仕事の細かい話になるとまだ通訳を介する必要がある。「ニーハオ」と「謝謝」しか知らなかったことを思えば、二年でここまで来たかと考えるか、二年もかけてこんなもんなのかと考えるべきか。少なくともまだまだ精進が必要なことは間違いないが。
ところで、私を雇用する北京と日本の会社では海外赴任は一期二年と決まっている。現在の期が終わるのは 2008 年の 3 月いっぱい。おそらくさらにもう一期は北京にいることになるので、少なくとも 2010 年 3 月まではこの地で暮らすことになるだろう。その後のことはどうなるか、今はまださっぱり分からないが、もしかするとさらにもう一期、おまけで追加のもう一期という目も無くは無い。もしそうなったら都合 10 年近く中国に係わることになるのか。まあ私はしがないサラリーマンの身、私の今後の成り行きは私を雇用する会社様の胸先三寸次第でどう転ぶかわからんわけである。来年の今頃は日本に帰ってるかもしれんし。まあそれは無いか。
ともあれ、まだまだ北京でやることもやれることもやりたいこともたくさんある。しばらくはここで暮らす日々が続きそうである。
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