邪魅の雫 京極 夏彦 講談社 2006-09-27 売り上げランキング : 147 おすすめ平均 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
今回の舞台は江戸川、平塚、そして大磯。それら舞台を替えつつ殺人事件が次々と発生する。犠牲者の間にはなんの繋がりもないように見える。しかし凶器にある特殊な「毒」を使われていることで、連続殺人事件の可能性が考えられる。誰がなんのために殺したのか。「毒」はどこから入手したのか。さらに犠牲者の中には偽名を使っているものもいた。そもそも殺されたのは誰なのか。混沌とした事態は混沌が混乱を呼び、事件の全貌が全く掴めないままさらに死体が発見される。
京極堂シリーズといえば、見ているのに視えていない死体、匣にみっしりと収まった娘、波間に浮かぶ金色髑髏、庭に突如出現した僧侶の死体、村人が丸ごと消えた謎の村など、常識ではあり得ない「不思議なこと」を京極堂が膨大な蘊蓄と言霊によってそれらを一度解体し、そして再び作り直すことで「憑き物落とし」を行うという「破壊と再構築の美学」のプロセスにカタルシスを感じるのがこのシリーズの最大の醍醐味だと個人的には理解している。
しかし今回はその肝心の「不思議なこと」がなんとなく小粒な感じなのである。連続殺人の謎は不可解で混沌とはしているが、なにもわざわざ京極堂が出張ってまで解決するまでもないのでは、とも思う。聞くところによると、実際今回作者は京極堂を登場させずに話を進めるプロットを考えていたらしいが、諸般の事情により敢えて最後に出させることになったらしい。たしかにその場面はなんとなく唐突な感じがするし、この程度なら(京極堂の助言の上で)青木か益田あたりが「憑き物落としもどき」をやってもなんとか行けるのではないか、という気もする(関口には無理としても)。そういう意味では京極堂シリーズではあるけれど、ある意味外伝的な匂いのする作品ではある。
まあそれでもさすがにエンタテインメント小説としては良くできていると思う。全編をうっすらと覆う不安感。「邪」というキーワード。そして毒。「邪」に魅せられ、意識を狂わせられた者の末路はあまりに悲しい。「邪なことをすると-死ぬよ」という榎木津のセリフにはちょっとだけシビれました。
どうでもいいが、京極堂は例によって最後の憑き物落としの場面でいつもの装束を纏って颯爽と登場しているが、いったいどこでその衣装に着替えたのかが大変気になる。今回の場合は前振りもなくいきなり現れているから、ということはまさか中野からあの格好のまま電車に乗って平塚まで来たのだろうか。ううむ、いくら昭和二十年代とは言え怪しすぎやしまいか。完全に不審者丸出し。よっぽどこの人のほうが警察に捕まるような気がしないでもないけど大きなお世話ですかそうですか。
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