ちょっと話題に乗り遅れた感はあるが、北朝鮮、やっちまいましたね。まあ「やっちまった」と自ら宣言してはいるものの、爆発の規模は TNT 換算で 1 キロトン以下だという報道もあり(広島型原爆で 15キロトンらしい)、実験自体は失敗だった、いわゆる「爆縮」に失敗した「未熟爆発」だった可能性もある。地震波は確かに観測されたものの、正確な分析にはまだ時間がかかるだろう。
しかし失敗気味の爆発であったかもしれないが、それでもそれが核爆弾であったなら、やはりその意味は大きい。北朝鮮は自ら自国が大量破壊兵器を所有していることを宣言し、そしてそれを自らが証明してしまったわけだから。今まで北朝鮮問題というと拉致問題や偽札、偽タバコそれと麻薬の密輸などであったが、もはやそれらを遥かに超えて世界の安全保障に直結する別問題となってしまった。北朝鮮だって今ここで核実験を実行すれば世界各国からの厳しい非難を予想していなかったはずはない。特に「世界の警察」たるアメリカは更に態度を硬化させるのは当然で、経済制裁が解かれる可能性は遙か彼方に遠ざかる。まあいったい何を考えているのか。よくわかりません。
かつての冷戦時代、米ソが軍拡競争を繰り広げた時、ひとたび核ミサイルの発射ボタンを押せば世界は明日にでも破壊され尽くされると言われた。実際キューバ危機ではあともう数ミリでボタンが押されるところまでいったし、近年ではインド・パキスタン紛争が相当危険な情勢に陥っている。しかし「ヒロシマ」「ナガサキ」以降六十年の間、一応は原子爆弾は実戦には使用されていない。それ要因の一つとして核抑止、いわゆる「核の傘」が機能していたからだという考えがある。核抑止が実現していれば、どちらかが核を先制使用しても、報復攻撃により双方が甚大な被害を受けるため(相互確証破壊)、結果的に核兵器は使えない兵器となり、最終的に核戦争が回避される、という論拠である。要するに一時の激情にまかせて核爆弾を使ってしまったら、相手も核を使っての致命的な反撃を生み自らの国も滅亡してしまう。したがって核は持っていても使えないないという理屈だ。
しかしこれは核を保有するであろう相手も、一応こうして同じように論理的に物事を考えるはずという、いわばある種の性善説の上で成り立っているわけである。はたしてこれが今の北朝鮮に通用するかどうか。今この状況で核実験を強行するということは、常識的見地からするとありえないことであり、それはすなわち現在の北朝鮮がギリギリせっぱ詰まった瀬戸際に追い込まれていると考えられる。もうこうなったら最後のイタチっ屁で日本に一発落としてして、あとは野となれ山となれ、なんてこともあり得なくはない。まあ、例のパーマデブのおっさんは自国民の幸福などこれっぽっちも考えていないのは明らかとしても、少なくとも自らの安全保証と権力の維持だけは死ぬほど考えているはず。さすがにそこまではやらないか、と思いたいところだが。
どうでもいいけど、ヨーロッパあたりで核実験を行うと、鬼の首を取ったようにその国の大使館の前でシュプレヒ・コールをがなり立てていた団体の方々。今回は朝鮮総連の門前で抗議行動ってやったんでしょうか。あるいは街のパチンコ屋の前とかサラ金会社の入り口は?少なくとも北京で見ることが出来る NHK のニュースじゃ報道されてなかったですけどね。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。