ディアスポラ グレッグ・イーガン 山岸 真 早川書房 2005-09-22 売り上げランキング : 67450 おすすめ平均 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
現代ハード SF の旗手グレッグ・イーガンの、「宇宙消失」、「順列都市」に続く“主観的宇宙論もの”の第三弾。
西暦 2795 年。人類は生身の肉体を捨てソフトウェアとしてコンピュータとネットの海に浮かぶ仮想空間に「移入」する道を選んでいた。あらゆる物理法則やしがらみから解き放たれた世界で、人類の姿も形も生き方も過去とはまったく異なるものに進化している。この世界では人は永遠に生き、他者の精神と融合することもできる。自らのコピーをつくって同時進行的に存在することや、時間の感じ方すらも自ら制御して主観的な時間軸で生きることもできる。不老不死とあらゆる束縛から逃れたかのように思えた人類、しかしその楽園をいきなり襲った宇宙規模の危機。人類は地球を捨て、外宇宙へ移住する「ディアスポラ」を計画し、銀河に散らばっていく。何千年にも及ぶ果てしない旅の最後に、人類が知る宇宙の真理とは何か。
一応イーガンの著作は一通り読んでいる私だが、正直言ってこの本だけは序盤で何度も放り投げそうになった。「ウルトラスーパー・ハード SF」という宣伝文句は伊達ではなく、これがまた本当にウルトラでスーパーハードである。巷では第一章をクリアすれば後はなんとかなるとの評判のようだけれど、それはつまり第一章が異常に難解だということ。その節は正にその通りという感じで、ソフトウェアがたった一つの信号の反復・増幅から「成長」し、ついに自己認識を獲得する意識をもった「人間」を作りだすプロセスは、正に字面を追うだけという情けなさ。このあたりはいわゆるところの鏡像理論というらしいが、なんだかわかったようなわからんような。
また基本的にこの小説は一貫したプロットを持っておらず、大きな流れのなかのエピソードが一つ一つ語られるかたちをとっているのだけど、エピソードごとにハード・サイエンスのアイデアがまた強烈だ。第二章のリーマン幾何学、第四章の宇宙観測、第七章の理論物理学、そして頻出する生体工学と、確かな科学・工学知識に裏付けされたこれぞハード SF と呼ぶしかないアイデアの数々は、さすがイーガンというところか。ただ終盤に出てくる三次元と五次元の「重力井戸」の比較のくだりは、悲しいかな全くイメージ化することができなかった。イーガン自身のサイトに図解付きで解説が載っているけれど、これを見ても今一つ理解できまへん。それとイーガン版のひも理論とでも言うべき「コズチ理論」にもとづいたワームホールに関してもしかり。もしやこれが分からないと致命的ですか。ううむ。
しかしそれらを粘って読み進め、わからんところは読み飛ばしつつ、中盤で世界観を理解した後は、驚愕のストーリーに一気ににひきこまれた。近宇宙で発生した未曾有の危機から、ソフトウェア化した人類が新天地を求めて宇宙に飛び出し、そして未知なる存在に出会う終盤までの描写は圧巻の一言。そこで描かれる登場人物たち(そのクローンも含めて)の間の人間ドラマと、徹底した真理と未知を追い求める探求者としてのドラマは感動的ですらある。
それにしてもこの先、イーガンの作品はいったいどこまで行ってしまうのか。私はついていけるのだろうか。というか、すでについていけていない気が猛烈にする。ではせめてその尻尾の先ぐらいは見えるようになるためには何を勉強すればいいのか。どこがわからないのかがわからないというのは、ひどくもどかしく狂おしい。でも次作が出たら多分読みますけどね。
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