WRC ドライバーのリチャード・バーンズが 11 月 25 日、かねてより闘病中だった脳腫瘍のため亡くなった。享年 34 歳。バーンズはスバルに所属していた 2001 年に WRC ドライバーズ・チャンピオンを獲得。その後プジョーに移籍した 2003 年、最終戦のグレートブリテン・ラリーの直前に脳腫瘍を発症し、以来 2 年に渡り病魔と闘っていたが、ついに帰らぬ人となってしまった。
今年になって断片的に入ってきた情報によると、病状は思わしくないながらも本人は意欲的に治療に挑んでいるということだった。WRC のドライバーとしては無理かもしれないとしても、いつの日か病気を克服し、ラリーの世界にきっと戻ってきてくれると、私は信じていた。この突然の訃報には、ただただ驚きと悲しみしかない。
トミ・マキネンという、当時絶対的な速さを誇った偉大なドライバーの陰に隠れがちだった三菱時代から一変、才能が一気に開花し、トップドライバーの仲間入りをしたスバル時代。そして最後のキャリアとなったプジョー時代。所属チームやマシンはいくつか変われど、朴訥でまじめな性格と、それに反した熱い走りは多くのラリーファンに愛され、またスバルと三菱に所属していたこともあって日本にもファンは多かった。いかにもイギリスのラリー・ドライバーらしく、リアを豪快にスライドさせるドライビング・スタイルが私も大好きだった。インタビューに答えるときの少し恥ずかしそうにはにかんだ笑顔も忘れられない。
バーンズはまだ 34 歳。若さよりも経験がものを言うラリーの世界では、今、正に脂の乗り切った時だった。もし病気を発症していなければ、今でも十分にチャンピオン争いに加わることができたはず。それを思うと本当に残念でならない。WRC を初めて生で見た 2002 年のラリー・オーストラリアでバーンズの走りをこの目で見ることが出来たのは、今思えば思い切って見に行って本当に良かったと思う。
しかし今年の WRC 界は哀しい出来事が多すぎる。グレート・ブリテンでのマイケル・パークの事故といい、そしてバーンズといい、どうしてこんなことばかり起こるのか。もうたくさんだ。
2001 年当時、在籍していたスバルの web サイトに、バーンズの日記が掲載されていて、死去のニュースを聞いてから改めて読み返している。もう何度読み返しただろう。さっきからずっと涙が止まらない。バーンズありがとう。どうか安らかに。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。