幕張シネプレックスにて「ハウルの動く城」を今ごろ鑑賞。
見終わってからネットでの評判を見ると賛否両論あるようで、たしかにハウルの行動原理は意味不明だし、戦争の描き方はいい加減(どことどこが戦っていて、なんで戦争をしているのかすらわからない)、双方の国家にとって重要な存在であるらしい「魔法使い」という属性についても全く説明なし。そもそもタイトルである「動く城」がどうして動かなければならないのかの提示すらない。でもそんなことはどうだっていいのだ。ファンタジックなラブ・ストーリーを描く上では、そんなものは全ておまけなんだから。
本当は清楚できれいな少女なのに、美貌の母と妹を持ったせいで、根深い容貌コンプレックスを抱えるソフィー。若い娘としての自分は無価値であり、家族の中でも帽子作りという職業においても、自分は華やかな存在を支える「裏方」である、と自分を諦めている。一方のハウルも同じで、「美しくなければ生きている意味がない」と言い切るわりに、本当は自分に自信がない弱虫もの。そんな弱虫のままのハウルを受け入れるソフィー。二人がお互いをお互いの姿のままを受け入れる、それが「愛」ってやつなんだよ。そうこの映画は言っているわけである。
それにしても、主人公であるソフィーは魔女に呪いをかけられて老婆になってしまうのだけど、これは本当に魔女の呪いだったのだろうか。老婆になった当初こそ腰が曲がっていかにも「90 歳のお年寄り」だったが、物語が進むにつれて、いつの間にか腰はまっすぐになり、溌剌と動くようになっている。つまり、魔女の呪いはすでに解けている、あるいは解けかけているということだろうか。そしてきっとソフィーは魔女に呪いをかけられる前に、自分で自分自身に呪いをかけていたのだ。自分は妹や母親と違って地味で容貌もイケてない。そのためこれから一生を帽子屋の一室で暮らさねばならない、という自分で自分にかけてしまった呪い。魔女に出会うずっと以前から、ソフィーの心はとっくに老婆だった。しかしハウルの存在によって、徐々にその呪縛から解き放たれていく。そういえば大団円の結末でソフィーは元の 19 歳の姿に戻ったのだが、髪の色は老婆時代の灰色のままだった。これはつまり、元の帽子屋の縫子だったソフィーに戻ったのではなく、老婆の経験を通して生まれ変わった新しいソフィーであることを示していると思われる。
どうでもいいが、余計なお世話だけどハウルと一緒になっても多分幸せにはなれないような気がする。と、老婆心ながらソフィーには忠告したい。
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