夏の声を聞くと、サラリーマンなら誰しも楽しみなのがボーナスだろう。世間一般的にはだいたい六月の中頃、遅いところでも六月末には支給されているようだが、私を雇用する会社は例年少し遅めで、七月の第二金曜日、つまりは今週末がボーナス支給日である。
ボーナスが楽しみなのは楽しみなのだけど、しかし最近は年齢と共にこの手のありがたみが薄れてきているような気がする。以前の私なら心情的に「ボーナス!」ぐらいの勢いがあったのだが、今は普通に「ボーナス」ぐらいの嬉しさか。違いがわかりませんかそうですか。
それはやはりボーナス全体のうち、自分が自由に使える割合がどんどん減っているからだろうか。独身時代、実家で暮らしていた時はほぼ全額自由に使っていたのに、今は家のローンだ税金だ貯金だと、額面全てが自分のものになるわけではない。というか、自分のものになる金額なぞ正に微々たるものである。まあそれもこれも、それだけの金額しか貰っていないせいではないかと言われれば確かにその通りなのだが、しかしやはり嬉しさ、ありがたみといった感覚は年々薄れてきているのは正直なところだ。あの頃のワクワク感が今や懐かしい。もし十数年前の私に会うことができたら、「ボーナス!!!!」ぐらいに嬉しがれよ君、といってやりたい。
まあ人生、金が全てではないし、人相応、身の程に、とも思う。しかしもらえるものならできる限り多くもらいたい。それがお金ならなおのことだ。お金ほしい、お金ほしい、お金ほしい、とさりげなく三度ぐらい唱えると、もしかしたらボーナスの明細が書き換わってゼロが一個増えているかもしれない。そんな気がするのは、流れ星に願をかけるのと同じ気持ちなのだろうか。
今日は七夕。