新聞の広告やら ネットのニュースやらでやたら目について知ったのだが、今日 5 月 31 日は WHO が決めた「世界禁煙デー」だそうである。世界に禁煙を広める日、という趣旨で始められたこの催しは、今年で 第 17 回を数える、それなりに伝統のあるものらしい。いやしかし、そんなのがあるとは知らなかった。
ところで実は私も禁煙してすでに一年になる。昨年のゴールデンウィークに突如思い立ってスッパリと止めたわけだが、それからかれこれ丸一年。早いものだ、と正直思う。それまで約二十年間、一日も途切れることなく吸い続けてきたわりに、さして苦労もなく止められたのは、やはり私の意志の強さによるところが大きいだろう。よくやった私。えらいぞ俺。誰も褒めてくれないので自分で自分をたたえてやりたい。わーはははは。すごいぞ。どうだ。どんどんどん。ぱふぱふ。
しかし今でも時おり、会社の喫煙所や飲食店などで香ってくるタバコの紫煙に、嫌悪感よりもどこか懐かしさを感じるのも事実。タバコの煙を目の敵にして徹底的に忌み嫌う、絶対的嫌煙権者と私が違うのは、私自身もかつてニコチンの奴隷であったからだろうか。海馬の奥底に巣くう、ニコチンとの蜜月の記憶。食後に燻らす一服なんて心の底から至福と思っていた。山に登って雄大な景色を見ながら吸い込んだ紫煙も(もちろん携帯灰皿持参だ)、このまま自分も煙になって空の向こうに霧散してもいいとさえ思った。実に美味かった。多分一本吸ったら元の木阿弥だろう。だからもう、吸わない。
なんてことを考えてたら、清水健太郎が覚せい剤所持で逮捕のニュース。このおっさん、クスリで逮捕されるのも一体これで何度目なんだ、と調べてみると、1983、86 年に大麻取締法違反容疑で、さらに 95 年には覚せい剤取締法違反などの罪で実刑判決を受けているから、これで都合四回目。いい加減に懲りないもんかねとは思うが、ニコチンも含めてドラッグの習慣性は恐ろしく高いのであろう。「世界禁煙デー」には実に印象的なニュースではある。
しかしこういう真性ダメ人間が実際に存在するというだけで、なんとなく生きる勇気が湧いてくるような気がするのが不思議だ。清水健太郎も、ある意味では他人のお役に立っているわけである。高飛車な物言いですが。